時事通信が面白い記事を二つ書いている。一つは甘利氏の発言をとりあげたものでもう一つは安倍政権について書いたものである。日本のマスコミの権力に対する立ち位置がわかる。今もっとも期待されている人たちに寄り添って終わったものを見捨ててしまうのだ。民主党政権に切り替わるときにも見られた手法である。我々は反省しない。ただ水のように流れてゆくだけである。
第一の記事は甘利さんに関するものだ。秋に解散もあるのではないかと書いている。この記事は甘利さんらが安倍政権の後継にふさわしいという雰囲気を醸し出している。つまり禅譲の空気を演出しているのだ。この記事から「失敗するなら安倍さんのときにしてほしい」という次世代のリーダーたちの思いがあるのかもしれないと思った。
そこで甘利さんたちがトラウマは何なのだろうかと考えて調べてみた。ちなみに甘利さんは新自由クラブ出身で現在は麻生派に所属している。麻生派は旧宏池会系を合わせて「大宏池会」を作ろうとしているようだ。おじいさんから後継指名を受けたわけではないがきっと「俺が引き継ぐのだ」と思っているのだろう。甘利明さんもまた政治家の二世である。
小泉路線とは財政健全化と守旧派の排除だった。大宏池会系の人たちも保守傍流の清和会から守旧派認定されてしまう。小泉路線の定着で保守本流は完全に傍流になってしまった。
清和会から後を引き継いだ第一次安倍政権ではこの緊張が緩む。だがあまり政治経験のない塩崎恭久を幹事長にしたこともあり抑えが効かなくなった。年金問題が発覚し国民に動揺が走った上に政治家の失言も抑えられなかった。安倍総理はこの状態で衆議院選挙に臨み過半数を失う。そのまま責任を取らずに居座ろうとしたがうまく行かず放り出すように政権を投げ出した。
その後を引き継いだのが福田政権だった。だが安倍の遺産であるねじれ状態で苦戦し「このままでは選挙に負けてしまう」と焦った公明党によって追い詰められる。結局選挙ができないままで辞任に追い込まれた。辞任直前にリーマンショックが発覚した。
こうして清和会二代が終わり満を持して登場したはずの麻生政権だったが、選挙管理内閣としか見なされていなかった。麻生は内閣が刷新されたという新鮮さがあるうちに解散総選挙をやろうとしたようだがリーマンショックで身動きが取れなくなった。そのうち東京都知事選で負け麻生降ろしが起きさらに衆議院選挙でも負けてしまい政権を失ってしまった。
いくつかの要素があると思う。一つは自民党にある「膿」である。小泉政権はポピュリズムによって党内の抵抗勢力を抑えてつけていただけであって気を許すと失言や不祥事が表面化する。それは中央だけでなく地方にも広がっている。そして小泉政権当時から保守本流は全く期待されていない過去の遺物扱いだった。さらに災害の存在がある。自民党政権の末期のそれはリーマンショックであり民主党は東日本大震災を経験した。100年に一度1000年に一度ということが立て続けに起きている。災害があると人々は不満を抱きその不満は必ず政権に向かう。
今回安倍政権が対峙するのは「人類が未だかつて経験したことがない」とされる新型コロナ対応である。これはおそらく誰がやっても失敗する。だったら失敗は過去の政権に押し付けたい。
このため甘利さんたちとしては失敗だけを安倍政権に押し付けたい。だが、ほどほどに負けるのでなくては困る。惨敗はまずい。ほどほどに失敗してさてどうしようというところで出て行って自民党を救って見せたいのだろう。
では小泉政権当時にはすでに国民から全く期待されなくなっていた保守本流がどう意識改革できたのだろうかということが問題になる。
彼らが手をつけたくないものがいくつかある。例えば地方で漫然と政治を行っていて改革などするつもりがない人たちには手をつけたくない。おそらく今回の河井克行夫妻逮捕の裏側にあるのは広島の旧態依然とした政治風土だった。だが、それを改革するとなると一大事である。東京新聞が河井克行夫妻逮捕の内幕を書いているのだが、広島の人たちは検察に自己弁護をしたかったようだ。だが録画されたのは「私が悪うございました」という検察のシナリオに沿った供述だけだった。おそらく広島の政治家が自分たちのありようを反省することはあるまい。
また彼ら自身の意識も変えたくない。甘利さんは「消費税増税は彼らが勝ち取った政治的成果であって決して譲ることはできない」と考えているようだ。政権が起死回生を狙うときおそらく最も効果的なのは消費税の一時減税だろう。だが、甘利さんたちからしてみると消費税増税は「国家が長い間かけて獲得した既得権益」である。そして甘利さんは国家の側にいる。彼らからしてみれば国家財政というのは先祖から受け継いだ保守本流固有の資産である。貴族が日本各地から税収を集めるのと同じ感覚なのだろう。
麻生さんの仏頂面に代表されるように自民党の公家勢力たちは自分たちが変わるつもりはない。あくまでもバカな有権者の気の迷いで回り道させられただけなのだ。
今回は麻生氏を表に立てず甘利さんがこの勢力を代理しようとしている。そして時事通信は「次はこの人たちなんだな」と考えて世論形成をしようとしているように見える。こうした政治が続くのかは有権者の選択にかかっていると言えるだろう。ただ、有権者もまた流されたがっているように見える。あるいはもっと過激な人たちの声に耳を傾けてしまう可能性もあるかもしれない。民主主義は難しい。