イオンモール釧路昭和で1人が殺され3人がけがをする事件が起きた。いずれも女性だった。松橋伸幸容疑者(33歳)はすぐに逮捕され「人生を終わりにしたかった。誰でも良かった」という旨の供述をした。
普段なら、殺人者の人となりなどを仔細に報道する様子が見られるのだが、今回はあまり報じられることはなかった。他に大きなニュースがあったからという事情もあるが、この容疑者が「精神疾患」を煩っていたことが分かったからだ。ネットの報道の中には病気は統合失調症だと伝えているものがあるのだが、大手マスコミは「精神疾患だ」としか言っていない。多分、報道コードの制限があるものと思われる。
松橋容疑者はホームセンターで包丁を買ってから市内の病院(何科の病院かは伝えられていない)に行ったあとでイオンモールに行き、すぐに包丁で女性たちを刺したそうだ。職場(新聞配達員だった)は病状を知らなかった。容疑者は家族と同居していたので、家族は病状を管理していたものと考えられるだろう。
マスコミが病名を伝えないのは病気への偏見が助長されるのを恐れているからだろう。統合失調症の病状は投薬で抑制可能とされているのだが、社会復帰しても「何かしでかすのではないか」とされ、復帰が難しいケースが多いという。かつては「発祥したら病院に閉じ込めておけ」という風潮があったのだが、人権上の問題がある上に社会的な負担も大きいため社会復帰させるという方針に転換している。その方針への悪影響を恐れているという側面もありそうだ。
精神的な不調があると、鬱か統合失調症というラベルを付けて「とりあえず投薬する」というお粗末な実情があるのも確かだ。精神科医は病気が良くなってもならなくても処方箋さえ出していれば報酬が貰えるからだ。故に松橋容疑者の病状がどんなものであり、どのような不調を抱えていたのかは分からないし、それが病気に関係しているかも分からない。
報道をタブー視することには、偏見を助長しないという効果もあるが、劣悪な環境が改善される機会を奪っているという効果もあるのだ。よく分からないものにはふたをしましょうということで、それをきれいな言葉で「コンプライアンス」と呼んでいる。実情は目を背けているだけである。
一方で、テレビのコメンテーターは心神耗弱について心配していた。つまり、病気=善悪の判断が付かないという印象があるためだろう。放送コードに引っかからないように配慮しつつも「心神耗弱で無罪放免になってしまうのは好ましくない」という論調だった。視聴者が好みそうなことを言っているという自覚があるのだと思うのだが、視聴者はテレビが他人を罰するのを見たがっているという自覚があるのだろう。
ジャーナリズムの名前の元で「悪」を叩くということが横行しており、少しでも複雑な事情があり表立って叩けないと「商品価値がない」とばかりに次のセンセーショナルなニュースに飛びつくのである。