問題を解決するためには問題の原因を取り除くとよい。原因が特定できない場合、原因についての仮説を立てることになる。今回はなぜテロがなくならないのかを考えてみたい。
そもそもテロとは何だろうか。テロは政治的な目的のために人の命を奪う行為を指す。恐怖により人を従わせるのがテロである。故にテロ犯には政治的な意思がなければならない。犯人は死ぬかもしれないが、仲間がその意思を引き継ぐことになる。
しかし、この定義は広く受け入れられているとは言えない。最近のテロの定義は「イスラム教徒が起こすキリスト教世界の破壊」という定義だ。この定義を作ったのは9.11テロの後のブッシュ政権である。この解決策としてブッシュ大統領が提示したのは、外国にいるイスラム教徒の過激派(テロリスト)を殲滅するというものだった。
だが、この仮説と戦略は正しくなかったようだ。実際にはイスラム過激派に「インスパイア」されたホーム・グロウンテロと呼ばれる人たちはなくならない。中にはイスラム教とは全く関係なく殺人を行う人もいる。
ところが、いったん出来上がった「仮説」を取り下げるのも難しい。アメリカではトランプ候補が「イスラム教徒を入国禁止しろ」と主張している。だが皮肉なことにトランプ候補はイギリス人に命を狙われた。このイギリス人は自分の命を投げ出して政治的メッセージを伝えようという意味ではテロリストなので、トランプ氏の主張に従うと、イギリス人を入国禁止にしなければならなくなる。いったん入ってきたイギリス系の移民(建国に関わった人たちの多くはイギリス系だ)もテロリスト予備軍ということになってしまう。イスラム教徒だけがテロを起こす訳ではないので、この解決策は破綻している。
テロは不安だ。不安を解消するためには原因を取り除きたいと思うのは自然な感情だ。だが、これが結果的に「外国のイスラム教徒を叩く」という無意味な行動につながっている。だが、この行動は結果的に憎しみの再生産につながるだろう。
にも関わらず、テロに対するイスラム仮説がなくならないのは、この仮説が楽だからだろう。一般大衆は「イスラム教徒を叩いてさえいれば」テロが防げると誤認してしまう。つまり、人は自分の支出が一番少ない解決策を自然に選んでしまうということになるだろう。
そもそも、現在テロ行為の背景には格差の拡大があるようだ。もうこれ以上生活の改善が望めないと思った時「社会に見捨てられている」という感覚が生まれ、テロ行為が発生する原因になるということがいえそうだ。政治的主張というにはあまりにも未熟な怒りの表明である。故にテロをなくすためには格差をなくすべきだと言える。だが、そのためには自分が獲得したものを他人に渡さなければならない。これは非常に難しいため、テロはなくならないのだろう。
いずれにせよ欧米の指導者たちは社会の分断が結果的にテロを生み出すことに気がつき始めているようだ。そのために大量殺人が起きたときに「これはテロだ」と断定することに慎重になっている。たいていのケースにはそれなりの複雑な背景があり、それを解明しない限り問題の解決にならないとことを実感しはじめているのではないかと思われる。