これからも民主主義社会に住みたい人のセールステクニック

前回「安倍政権を続けさせないためには、デモに参加するのではなく、自民党に働きかけよう」と書いた。一応背景にある考えについておさらいしておきたい。ここに出てくるのはマーケティングのテクニックというよりはセールステクニックだ。古いものだと第二次世界大戦前くらいのものすら含まれている。

人はバランスを取る

まずNHKの朝イチで見た話から始めたい。誰かが怒っているときにそれに輪をかけて怒ってみせる。すると、怒っていた人はバランスをとるために「いやそれほどでもないんじゃないか」と考えるようになるという。例えばクレームの電話を入れてきた人に「では訴えるか」などというと「いや、それほどでもない」と態度を変えるという具合だ。人は無意識のうちに対立が激化しないようにバランスをとってしまうのだ。「共感して同調する」ことが基調にあり、その上で敢えて強めの提案をするのである。

つまり、民進党の蓮舫代表のように首に青筋を立てて怒ってみせると「ああいう醜い顔にはなりたくない」と考えてかえって冷静になってしまう。山尾しおり議員も同じである。民進党のやり方は、実は支持者(あるいは安倍政権には反発するが選挙にはいかないような人たち)を満足させる効果はあるかもしれないが、真面目に心配している人には効果がなく、却って「なだめて」しまっている可能性があるということになる。

ではどうすればいいかということになるわけだが、上手だったのが小池百合子東京都知事だった。「私には支持基盤がないから緑色のものをもって集まれ」と言っていた。石原慎太郎氏が「厚化粧のババア」などと言った時も、石原慎太郎氏を罵しらず「私には痣がありコンプレックスなのだが」とアピールした。つまり、困っていると応援したくなるという特性がある。ヒーロー映画でただヒーローが悪をぶちのめすだけでは観客は感情移入できないし、かといって勝てないが口だけは達者なヒーロー映画など誰も見ないということになる。

声の変化も重要

声の大きさも重要なようだ。普段から声を荒らげていると「この人はこういう人なんだ」と思われてしまう。一方で、普段は冷静で温厚な人が、ここぞというときに声のトーンが早くなったりすると「ああ、怒っているのだ」と思える。そのまま終わってもだめで、最終的には落ち着いた声のトーンに戻さなければならない。つまり、人は変化に反応していることになる。

かといっていつも冷静というのもよくない。「あの人は中立を気取っているだけだ」などと思われかねない。時々感情を込めてみるのも重要である。

つまり、毎週デモをやっていても「ああ、またやっているな」ということになるわけだが、普段は温厚で建設的な人たちが、抗議をするのが、実は非常に効果的なのだと言える。デモをやってもかまわないのだが、普段は違う顔があることを見せなければならないということではないだろうか。

つまり、Twitterで政府批判ばかりしている学者は、普段の学会での活動を報告したり、実際に問題を解決している様子を見せるべきだということになる。それも無理なら3時のおやつを投稿しても構わないのではないかとすら思える。「プロ市民」ではなく、普通の人が危機感を持っているというのは、たとえそれが<演出>であっても重要だ。

誰が顧客なのか

自民党だけでなく、どの企業にも未顧客と既顧客と非顧客がいる。本来、マーケティングでは「未だ顧客になっていない非顧客」の獲得を目指さなければならないのだが、実際に新しい顧客を獲得できるなどということを信じている人は少ないのではないかと思う。

非顧客は顧客にならない人をさすのだが、保守的な人たちは政府に抗議する人たちは「どうせ話を聞いてくれない」といって最初から排除されているものと思われる。つまり、自民党や公明党を中から変えてくれる人が一番重要なのだということになる。

反安倍運動は「未顧客の顧客化」を目指してきた。つまり「政治に目覚めていない人」の関心を引こうとしてきたわけだ。もちろん、他人に興味を持たせるのが大切な訳だが、これはかなり難易度が高い。企業もあの手この手で未顧客の興味を引こうとするわけだが、それにはかなりのお金がかかっている。現在の消費者はこれに慣れてしまっていて、面白いCMで引きつけてもらわないと興味すら持たないし、情報を理解しようとすらしないという状況が生まれている。政治活動はこうしたレッドオーシャンで戦っていることになる。

緊急時には既顧客だけに絞らないと取り返しがつかないことになる。デモをやっても、政治に興味がない人にはノイズにしか聞こえないのだから、インサイダーになって(あるいはその振りをして)働きかけるのが一番よいのではないかということになる。未顧客を獲得できない人にとっては既存顧客の離反が一番怖いのである。

善意に働きかける

抗議ばかりしている人の声が届きにくいということは最初に説明した。と同時に反対されればされると人はそれに抵抗したくなるものだ。これは日本人がそうだというわけではなく、もっと普遍的なものだろう。戦前に書かれた「人を動かす 文庫版」という本には、どんなにがんばってもものが売れなかった人が、善意に訴えかけると人を動かすことができたという話がいくつか出てくる。人には「良い人に思われたい」という欲求があるからだそうだ。故に「自民党は終わった」とか「公明党は地獄に堕ちた」などと言っても彼らを動かすことはできないが、政治に熱意があるからこそ勇気を持って状況を変えるべきだと訴えた方が良いのだ。

デモには陶酔感があるのだが……

安倍政権はかなり危険な状態にあり、このままでは民主主義がめちゃくちゃになってしまう可能性が高い訳だが、デモをやってもあまり効果はないだろう。にも関わらず「安倍政権を許さない」というような看板を掲げてデモをやりたがるのは、かりそめの陶酔感のためだ。ここは何を成し遂げようとしているのかということをもう一度考えた上で戦略を練り直すべきではないかと思う。このような状態が続けば、デモもできなくなってしまうかもしれないのだから。

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