ジャニーズ事務所の藤島ジュリー氏が謝罪したと各社が一斉に伝えている。一問一答式の文章が出ていたので「記者会見もやったようだ」と思ったのだが、どうやらそうではないようだ。マスコミ向けに「記者会見風」のPR素材を提供しそれを「報道した風」に流してもらう手法に時代遅れ感を感じた。これが世間から批判されることはないだろうが、SNS時代に事務所が適応できなくなっていることがわかる。端的に言うと「終わった」経営手法なのである。
各社ともジャニーズの藤島ジュリー氏が謝罪したと報じている。一部例外はあるがほぼ事実関係だけを伝える構成になっている。このなかに「【全文】ジャニーズ藤島ジュリー社長が性加害問題を謝罪「ただただ情けなく、深く後悔」一問一答」と言う記事を見つけた。一応記者会見はやったのだなと感じた。つまりジャニーズ事務所もそれなりに変わろうとしたのではないかと感じたのである。
ところが報道をよく読むとこれは「事務所側が発表した文書」だった。内容も「起こったことは残念だがジャニー喜多川氏は亡くなっているので事実関係はわからないし私も何もしらなかった」と言う弁明を記者会見風にまとめているだけだ。昭和の芸能マスコミではこの程度の手法も十分に通用したのだろうが、SNS時代の今のスタンダードには全く合致しない。いわば模造記者会見と言えるだろう。ブラウン管できれいにみえればいいと言う意味ではハリボテと言って良いのかもしれない。
伝える側ではTBSが「私たちも伝えてきませんでした」と鎮痛な面持ちで報道している。ビジネスとしてジャーナリズムや人権を全面に押し出すことが多いテレビ局だが、やはり収入の多くをジャニーズ事務所に依存してきたと言う実態を考察しなければ報道したことにはならないのだが、おそらくそこまで要求するのは無理というところだろう。
ただ、藤島ジュリー氏には同情すべき点もあるかもしれない。昭和のマスコミは送り手側が演出をすることが可能だった。テレビも雑誌も一方向メディアだったからだ。今回の「模造記者会見」もそうした演出意図が透けて見える。彼らのとってはそれが常識なのだろう。オープンに記者会見をすれば不足の質問が出る可能性がある。その答えだけが切り取られて報じられることで制御不能になることを恐れたのかもしれない。
元々のきっかけは文春報道だった。これに対して名誉毀損裁判が行われ事実関係が一部認められている。
ところがメディアはこの件についてほとんど触れなかった。ジャニーズのタレントに売上を依存しているというのがその理由だろう。
潮目が変わったのはBBCの報道である。日本の認識では「セクハラ」だったが「性犯罪」になっている。欧米にも同じようなケースがある。MeToo運動などが有名だ。エンターティンメント界の大物(ハーヴェイ・ワインスタイン氏)が追放される事態にも発展している。BBCはおそらくこのスタンダードを日本に適用したのだろうが、日本社会はこのスタンダードの変化についてゆくことができなかった。
ところが、タレントの中にも実名で被害を告白する人たちが現れ、遂には署名運動まで行われることになった。
つまりこの問題はジャニーズ事務所がかつてのようにメディアをコントロールできなくなっているということを意味している。にもかかわらずそれでも「記者会見風」の文書を配ってしまうというところからSNSスキルを学んでこなかったツケはかなり大きかったのだろうと感じた。
では、藤島ジュリー氏が記者会見をしてマスコミから袋叩きにされればいいのか?という疑問も湧く。今回の件で重要なのはおそらく日本社会が人権を重視し自浄作用を持っていることを示すことなのだろうが「袋叩き会見」ではおそらくは自浄作用をアピールすることはできないだろう。
今回の件でTBSは「私たちも伝えてきませんでした」と鎮痛な表情を作っている。ただ「なぜ伝えなかったのだ」という怒りの声は聞かれない。おそらくジャニーズ事務所でこのような性犯罪が容認されていたこともマスコミがそれを庇ってきたことも周知の事実として淡々と受け入れられている。「どうせマスコミのジャーナリズムは単なるごっこである」ということがわかっているからこそ誰もそれを咎めない。これまで扱ってこなかった損出は実は非常に大きい。
「共犯」であるスポーツ紙も「人権擁護の観点から慎重に対応した」と事務所側の見解をそのまま伝えている。各社ともSNSの批判が自分達に向かわないようにと頭がいっぱいになっている様子が窺える。
ジャニーズ事務所からはタレントの流出が相次いでいる。中には国際的に売り出してもらえないとして外に出る人たちがいる。中には成功事例も出始めておりおそらくは今後もそうした事態がしばらくは続くのではないかと思われる。